自分に気づく足裏健康法
2026.6.10▼人に人は癒せない
ひまわりの施術は純度の高い「スピリチュアル」、東洋思想・東洋医学を基盤とします。東洋思想は物質性よりも「精神性」を重んじます。
私たちの悩みの根源は、物質よりも精神、全ては「心の問題」へと集約されます。そして心に関する問題は、最終的に「自分自身で解決する」しかありません。
このことをアドラー心理学では「課題の分離」という考え方で「馬を水辺まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」と説明しています。
また、日本のマザーテレサと言われた佐藤初女さんは、
「人を癒していると思ったことはありません。人の心はたいへん深いものだから、人に人は癒せないと思うのです。癒しとは、自らの気づきによって心を解放したとき、はじめて得られるものではないでしょうか」
と言っています。奉仕に全身全霊を捧げた初女さんが「人に人は癒せない」と言うのは、たいへん言葉に重みがあり、
「『自らの気づき』によって、心を解放したとき、はじめて人の心は癒される」
という主張に、店主は強く共感します。古今東西、人の心の問題に携わる偉人達の考えは、全てこの言葉に集約されるとさえ思っています。
そのため当店は「身体の感覚を手がかりに、自分と向き合う方法」を伝えています。

▼気づきの足裏健康法
てもみ処ひまわりの店主は足もみ歴20年。日々の研鑽により独自の足裏健康法「修足法(しゅうそくほう)」を創始しました。
修足法は、足もみ界の2大流派「若石健康法」と「官足法」が、創始者の名に由来することに倣い、店主の名を一字冠しています。その意味は「修行のための足裏健康法」です。また「しゅうそく」という語感の中に「収束する」という意味も掛けています。
先に説明した「自らの気づき」を得るには、日ごろ散漫になりがちな意識を、皮膚より内側の一点に「収束する」必要があります。「意識の収束」が、気づきの核心です。
20世紀最大の覚者、ラマナ・マハルシは「この人生におけるたった一つの有益な目的とは、内面に向かうことだ」と言い、「それ以外にするべきことなど何もない」と断言します。
意識を内に向けると、葛藤と矛盾を孕んだ精神が統合されます。感情を抑圧して固着した過去の記憶(トラウマ)が、自らの気づきによって溶解されます。修足法は足裏という身体感覚から、そのきっかけを掴むためのアプローチ法です。
社会に適応するため無理をして演じてきた偽りの自己と本当の自己。その分離した意識を、アイデンティティを、一つに再構築するための「気づきのための足裏健康法」です。
修足法は「精神」主体の足裏健康法です。「苦しみの処理の仕方」と「抑圧した心の解放」、哲学的・心理学的なアプローチを特徴とします。
▼ストレスの正しい活用法
修足法は「足裏から極限の苦痛を与えること」を特徴とします(修行のための足裏健康法)。背景にあるのは私たちの人生の課題です。人生の課題を、ただ一つに集約すれば「苦しみをどう処理するか」。人生とは苦しみの連続である。ならば、いかにして、この苦しみを処理するか、それが問題です。
ストレスを上手く処理できなければ、心身が強張り、呼吸が浅く、体調は悪化の一途を辿ります。しかし、ストレスを上手く処理できれば、人格が成熟し、呼吸が深まり、充実した日々を過ごすことができます。
人生の良し悪しは全て「ストレスの処理の仕方」、この一点に掛かっています。ストレスは毒にも薬にもなる。ならば、薬として活かしましょう。
修足法は、ストレスの適切な対処法を、体感的に理解を深めるための足裏健康法です。そして、ストレスの正しい処理は、頭で覚えるものではなく、すでに本能的・野性的に知っているものです。このことを理解するためのキーワードは「考えるな感じろ」「身体の声を聴け」。
私たちは社会に適応するために後天的に学習した「しなければならない」という思い込み・刷り込みによって、先天的に備わった直観、ストレスの対処法を忘れてしまっているのです。
その先天的な対処法を思い起こすための核心が、先に述べた「意識を内に向けること」「自らに気づくこと」です。
▼心に作用する修足法
修足法は、足を揉むことが「手段」であって「目的」ではありません。そのため「足もみではない足もみ」というキャッチコピーが成立します。修足法の真の目的は「無意識運動の活性化」と「振り幅の大きな緊張と弛緩」です。足もみよりも「整体」の比重が大きく、心と体を自動調整する力を高めます。
「無意識運動が活性化」されると、その人固有の運動特性を知ることができます。本来、自分が何をすることが自然体なのか「心理学的な気づき」を得ることができます。
また「振り幅の大きな緊張と弛緩」により、物事は極まると反転するという「哲学的な真理」を悟ることができます。
修足法は「四つの原理」から成り立つ健康法です。第一に「無意識運動の活性化」、第二に「振り幅の大きな緊張と弛緩」、第三に「老廃物の除去」、第四に「神経反射」です。ここでは、修足法の特徴である第一・第二原理について説明します。
▼無意識運動に意識を向ける
私たちは、椅子に座りっぱなしで、圧迫による持続的なストレスを感じた場合、そのストレスを発散するため「貧乏揺すり」をします。また、仰向けで寝る際、背部に持続的なストレスを感じた場合、「寝がえり」を打ってストレスを解放し、身体の緊張を弛めます。

この「貧乏揺すり」や「寝がえり」に代表される「無意識運動」には、心と体のバランスを調整する、たいへん有益な作用があります。
ストレスから無意識運動が生じるまでの時間を限りなく圧縮し、足裏の刺激から「心と体を自動調整する力を引き出す」こと。それが修足法の最大の目的です。修足法を続けると、日常生活においても無意識運動が出やすくなり、ストレス下にあっても心身のバランスが整うようになります。
また、無意識運動にはその人固有の運動特性があります。生来的に、頭脳労働に適正のある方は、首の動きに特徴があり、身体のエネルギーを調整します。感情エネルギーが豊かな方は、左右に身体を揺らして声を出し、行動エネルギーは、前後に揺れたり、背面を反らします。闘争的エネルギーは、身体を捻ることで調整され、人の注意を引きたい性エネルギーは、身体を大の字に開いて解放します。
意識を内に向けて、自らの在り方を知っていれば、ストレスを感じると同時に、各自固有の無意識運動が生まれ、心身の状態は自動的に修復されます。
己を知る人にとって、ストレスはビタミンのような栄養素です。しかし、自己不在の人にとって、ストレスは心身を蝕む毒素でしかありません。
己を知るか、否か、それが問題なのです。
▼物事は極まると反転する
力で行うヨーガ。別名「苦行のヨーガ」と呼ばれるハタ・ヨーガが、第二原理の源流です。この原理を理解するには「サウナ施設の水風呂」を想像してください。

サウナでは、冬の寒い日でも外気に触れて、水風呂に浸かります。水に浸かっているあいだ、身体全体は緊張しますが、緊張がピークに達すると、今度は水風呂から出て、外気浴で呼吸を整えます。
私たちの身体は、緊張がピークに達すると、反動で弛緩へと転じます。登山に例えると、山頂に到達すれば、選択肢が下り一択になるのと同じように、緊張もピークに達すると、選択肢は弛緩一択となります。
この原理を利用して「振り幅の大きな緊張と弛緩」を繰り返し、心身のバランスを整えるのが、ハタ・ヨーガであり、サウナ施設です。
身体の緊張を弛緩へと転ずるには、何より「タイミングが大切」です。水風呂に浸かり過ぎれば、風邪を引くように、緊張は過ぎれば、体調が悪化します。弓矢を引けば、放つタイミングが大切なように、適切なタイミングで力を放つこと。それができれば、ストレスはリラックスへと転じます。
物事は極まると反転する。それゆえ「ストレスによる緊張を抜くにはストレスが最も有効」です。私たちが人として成長するにも、またリラックスするにも、全ては「ストレスの処理の仕方」、この一点の習熟に掛かっています。
▼塩を抜くにも塩が必要
最後に、店主の趣味の「ぬか漬け」について話します。

当店では施術後、希望者には「自家製のぬか漬け」を提供しています。修行の後の「精進料理」的な位置付けですが、店のコンセプトを理解して頂くためです。
ぬか漬けのぬかの塩分濃度は10%くらいです。それ以下の濃度では、ぬか床に雑菌が沸いたり、野菜が上手に浸からなかったりとトラブルが発生します。
しかし、塩分濃度10%のぬか漬けは、人の口には塩辛く感じます。米ぬかより発酵したぬか漬けは、ごはんや日本酒との食べ合わせは最高ですが、ぬか漬け単品で味わうには、やはり塩味がきつく感じられます。
そこで、ぬか漬けを「塩抜き」するのですが、ぬか漬けから塩を抜くのに必要なものが、また「塩」なのです。塩分濃度2%ぐらいの塩水に、ぬか漬けを浸すと、浸透圧の働きによって、漬物から塩が抜かれます。
これにより、ぬか漬けの塩分濃度を5%前後に調整すると、適度な塩味が野菜の旨味と甘味を引き立てる、単品で食べても美味しい漬物になるのです。
ぬか漬けは「塩の取り扱い」が肝心です。野菜を発酵・熟成させるのに塩が必要であり、そこから、口当たりの良い漬物にするにも、また塩が必要です。
それと同じく、ひまわりの施術は「ストレスの取り扱い」が肝心です。私たちが人として成熟するにも、また、心身の力を抜くにも、全て「ストレスによる緊張」が必要であり、その正しい処理法を知っていることが何より重要です。
施術後に提供する、ぬか漬けからも、当店のコンセプトを感じ取ってください。「ストレスによる緊張を抜くにはストレスが最も有効」というメッセージは、奇抜な発想ではなく、普遍的な真理です。
